2018年11月12日(月)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは 大きな報いをもたらすものなのです」ヘブル10:35



アブラはハムは、子孫が天の星のようになるとの、主の約束を受け、
その言葉を信じていた。しかしながら、なかなか成就しない。待て
ども待てども、長きに渡って子供は与えられない。当時は夫婦に子
供が無い場合、召使いに子供を産ませ、跡継ぎにすることが通常で
あった。

それで、子供ができない中、この慣習にならって、サラが提案した。
主が産めないようにしておられるのだから、女奴隷によって子供を
持つようにと。アブラハムは自分の言い出した事でなく、サラから
の申し出である事により、受け入れて、女奴隷ハガルの所へ入った。

しかし重大な事は、この時アブラハムは祈らず、主の御心を求めな
かった。自分の思いと自分の判断で、肉で動いてしまった。肉は、
一見、合理的で良い考えに思えるが、必ず問題を引き起こす。ハガ
ルは、子供のないサラを見下した。ハガルはイシマエルを産んだが、
アラブ人の先祖となり、今日のパレスチナ紛争に至っている。

アブラハムが神によらず、自分の判断により、良かれと行なった事
は後々まで大トラブルとなった。アブラハムが100歳になり、人間
的力が、完全に、100%絶えた時にイサクが与えられた。今、あな
たの状況はどうだろう。神の約束を待てずに、神を待ち望まずに、
自分で動くならイシマエルを産み出してしまう。肉の知恵で動かず、
神を待とう。必ず「神の時」に、神ご自身が動き出され、約束を成
就される。

・・・・・・・・・
長い間、全く動かない、微動だにしない事柄も、神の時が満ちると、
突然に動き出す事を経験する。「神の時」がある。その前に自分の
思いで動いてしまうと、刈り取ることになる。時を待つことは、非
常に難しい。そうできるよう主に助けを求めて祈ろう。