2019年03月13日(水)

「それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった」Tサムエル1:18



祈りの人ハンナ、ハンナの祈りは有名だが、不妊ゆえの悩み、苦し
みは深かった。自分で抱えていた煩悶を、祈りに持って行った。思
いも感情も、何もかもを御前に持ち出した。御前で激しく泣き、長
く祈り、その祈りはうめきとなった。祭司エリには、彼女が酔って
いるように見えた。

しかし、ハンナは募る憂いといら立ちで、主に心を注ぎ出していた。
私たちも、余りの苦しみに、痛みに、何をどう祈ればよいかもわか
らない時がある。主にその心をそのまま、「どう祈ってよいかわか
らないです」と祈ればよい。「苦しい、辛い」と吐き出して行けば
よい。その本心からの祈りを御霊が助けて下さる。

もし男の子が与えられるなら、主に献げると誓願を立てた。つまり、
ハンナは自分自身を主に明け渡した。私たちは、主に、あれが欲し
いこれが欲しいと要求し、願うが、自分の大切なものは握りしめて、
決して主に献げる事はしない。自分の思い、プラン、自分に属する
もの・・そうであれば、神の御心がなかなかわからない。

ハンナは、何もかもを主に委ねた。自分の持てるものも、思い煩い
も、将来も、自分の思いもすべてを明け渡した。その時、エリから
「安心して行きなさい・・神があなたの願ったその願いをかなえて
下さるように」との言葉を受けた。

その結果、食物が喉を通らなかったハンナが、帰って食事ができた。
ハンナはすっきりした。すでに得たりの平安が与えられた。私たち
も主に気持ちを告げ、聞いて頂こう。御霊が寄り添って祈って下さ
る。思い煩いを主に渡し、自分自身を委ねよう。
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祈っている相手は私を一番知っていて愛してくださっているお方だ。
祈りを通して自分の思いを告げながらも、主のお心も信仰を持って
受け入れ委ねていきたい。