2019年04月12日(金)

「あなたのあわれみは大きい。主よ。あなたが決めておられるよう に、私を生かしてください」詩篇119:156


人の歩みは主が決め、定めておられる。例えば、大会の競技試合や、
又、入試や入社試験は、誰しもどんなに緊張するだろう。普段に、
これ以上出来ないほどの準備を重ねても、必ず結果が出るとは限ら
ない。当日突然、発熱や腹痛で体調を崩すことも、実際にある事だ。

最善の備えをしても、当日の心身の調子や 又、不測の事態がある
かも知れない。当日、緊張の余り、力が入ってしまいミスをし、実
力が十分発揮出来ないスポーツ選手も少なくない。練習量や、精神力
だけではどうにもならない事態を目の当たりにする。思いもよらな
い事が起きて、自分の人生なのだが、自分の思い通りには行かない
事を思い知らされる。

神が主権者なのであって、自分ではないことを見せられる。人間の
力の及ばない領域があり、まさに自分の人生を導く方がおられる事
実を認めざるを得ない。だが、その方は恐怖政治の独裁者ではなく、
愛と慈しみに満ちたお方であり、最善以下は決してされないお方だ。
試練も訓練も鍛錬も通るが、「あなたを苦しめ、あなたを試み、つ
いには、あなたをしあわせにするため」と幸せへと導かれる。

そして願いを聞いて下さる。「願い」を抑え込むのでなく、主に知
って頂けと言われる。なんと嬉しい事だろう。その願いが自分の思
い通りにならなくとも、更に良いものへと導かれる。だから主権者
である主にお委ねすることができる。そこに平安が臨み、どんな時
も平安に生きる事ができる。

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主が完全に善い方である事、最善以下はされない事を据えて、信じ
て行く時に、心は守られる。自分が思う最善と主が私たちのために
思われる最善が、しばしばかなり違う。そこで迷い出てしまうので、
思いとは違うが、自分の思いで測れない、主の思われる良いものと
心していよう。そこに信仰が求められる。