2019年05月13日(月)

「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです」ヘブル10:35



すべての事において、定まった「神の時」があると言っている。又、
「私の時は、御手の中にあります」とあり、主も又「時」を非常に
重要とされた。「わたしの時がまだ満ちていないからです」「わた
しの時はまだ来ていません」の通り「わたしの時」があると。「見
なさい。時が来ました」と。

私たちの信仰生活でも、あらゆる事に「神の時」がある。自分では
「最善の時」「今こそが時」と思うのだが、それが「神の時」でな
ければ、事態は動かない。自分では何とかしようと懸命に頑張るの
だが、空回りするばかりだ。経験あるだろうか。神の時では無かっ
た・・あの時、この時。どうやっても、全く道が開かれず、事が動
かない。

逆に、神の時には、ひとりでに門が開かれて行く。道が整えられて
行く。微動だにしなかった事態が動いて行く。その時にはチャンス
を逃さずに捕らえる必要がある。「すべての人が時と機会に出会う」
しかし、祈っていなければ、せっかくの神の機会を逃してしまう。
神の機会を逃さず捕らえよう。

又、これは「神の時」を焦らずに待てば良いという事だ。必ず神の
時に、事態は動き、前進して行く。その神の時が満ちるまで、ただ
待っていれば良い。その神の時が待てずに、しばしば自分で、肉で
動いて失敗してしまう。「あなたがたが神のみこころを行なって、
約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」。待ち望んで
いよう。
-------------
遅いように思えても失望せずその時を待てと言われる。ただの一日
も遅くならないと。神の時を信仰の目で待ち望もう。焦りや諦めの
度に祈りつつ、美しい神の備える時を待とう。