2019年11月12日(火) 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7
私たちは、しょっ中思い煩ってしまう。主は「思い煩い」について 教えて下さった。「何も思い煩わないで」「明日のための心配は無 用」「思い煩いをいっさい神にゆだねよ」と。思い煩いは、全く事 実では無い事を仮想して、あれこれと気に病む。この事が、ああな ったら、こうなったらどうしようと、勝手に最悪のシナリオを描く。 心は暗くなり不安でたまらない。しかし主は、いっさい、「何も」 一つも思い煩わなくてよいと言われる。それを神に委ねよと。何と 平安、安堵だろう。だが、しばしば委ねられない事が問題だ。わか っているのだが、どうしても委ねられない。なぜ委ねられないのだ ろう。 自分が握っていなければ、自分が手を放してしまうと、目の前の事 態がだめになってしまう、崩壊してしまうと思うからだ。だから自 分が何とかしなければと、ますます固く握りしめ、放せない、放さ ない。主に委ねるには信仰が要る。今、先の事は見えないけれど、 主を信頼して、主に渡すことだ。主は必ず良くして下さる。 それは自分の思い通りの道ではないかも知れない。自分の思いとは しばしば異なるからだ。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異 なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ」と、「異な る」と言われている。 そうであれば、かなり違うという事だ。主が成される事は、常に私 たちにとって思いとは異なるが、結果的に最善だ。真の平安の道だ。 「委ねる事ができません」とありのまま祈ろう。主は祈りに答え、 働きかけて下さって、委ねられるよう助けて下さる。 --------------- 明け渡しているつもりでも、主よ、私のやり方を助けてくださいの 祈りで、結局いつまでもはらはらが続く。明日を安心して主にお任 せする信仰こそ求めたい。