2019年12月13日(金)

「主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる」詩篇37:34


信仰生活で、「時」に関して学ばされる。「天の下では、何事にも
定まった時期があり、すべての営みには時がある」の通り、すべて
の事に「神の時」がある。そして「時を待つ」ことは、非常に厳し
い試練に感じる。すぐに結果が欲しくて、なかなか待てない。しか
し待つことを通して、信仰が試され、練られ、培われて行く。待つ
こと無しには不可能だ。

アブラハムは、子供を授けるとの約束を与えられたが、待ち続ける
事ができず、自分の力で女奴隷によりイシマエルをもうけてしまっ
た。しかしその後に、アブラハムが100歳の時に、とうとう神の約
束は成就した。息子イサクが与えられたのだ。しかしその時は、
「自分のからだは死んだも同然」であり、サラの胎は死んでいた。

だが「それを認めても、信仰は弱らなかった」。反対に信仰がます
ます強くなって、神は必ず約束を成就されると堅く信じた、アブラ
ハムは失敗した後、神を信じ、神を信頼し、神に望みを置いた。神
は、奇跡のみわざをされた。同様に、神を待ち望む時に、私たちを
通して、神のみわざを成して下さる。

もし自販機にお金を入れると、即、飲み物が出て来るように、即、
結果が出て来るなら、私たちは信じる必要が無くなる。信仰によっ
て歩まない。待つ期間を通して、信仰が試され、神に委ねることを
学んで行く。そして信仰が鍛えられて行く。神に委ね、神を信頼す
る時、時間は問題で無くなって来る。神への信頼と、待ち望み、忍
耐を与えて下さる。
-------------
約束されているのに待たされると自力で何とかしようとしてしまう。
何と不信仰で失礼なことだろう。人間関係なら壊れていく。御言葉
を握り、神の時を楽しみに待ち望もう。