2020年03月13日(金)

「ダビデはナタンに言った『私は主に対して罪を犯した』」Uサムエル12:13 



ダビデは指揮をヨアブに任せ、兵士たちをアモン人討伐に出してい
た。全軍が命をかけて戦っている中、ダビデは夕暮れに起き出すと
いう怠惰な生活だった。その油断はサタンにつけ込まれた。ダビデ
はバテシバへの誘惑が来た時に、主に助けを求め、拠り頼むべきだ
った。主を仰ぎ、祈れば良かった。しかしそうせずに、誘惑に身を
任せ、罪に罪を重ねてしまった。

「ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった」主はすべて
見ておられた。王であり、トップだ。誰一人何も言える者はない。
ダビデは隠ぺいした。しかし全く平安は無かった。主は、悔い改め
に導こうとナタンを遣わされた。主はダビデを祝福し、豊かに与え
「それでも少ないというのなら、あなたにもっと多くのものを増し
加えたであろう。それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげ
すみ」と。

罪を犯した原因が主の言葉をさげすんだ事によると。それは「わた
しの言葉を侮り」「主の言葉を軽んじ」という事だ。主の言葉を軽
んじた事により、姦淫、殺人、虚偽の罪に至ってしまった。私たち
も罪を犯す時、原因は心の底で「主の言葉を軽んじ」ていることに
よる。信仰を捨て、否むのではないから、自分でも気づかないまま、
主の言葉をないがしろにして、肉を選択し、欲望に走ってしまう。

しかしそれは主の言葉を侮り、さげすむことだと。ダビデは罪を認
める事が出来た。日々主にとどまり、祈りと御言葉の交わりにとど
まる時、御霊が気づきを与えて下さる。罪も悔い改める事ができる。
主の言葉から離れず、主にとどまっていよう。
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御言葉を侮るということは、神を認めないで自分を神の上におき、
自分に栄光を帰していく。罪は人ではなく神に対する問題だと心か
ら思える。十字架の救いのほかに救いはない。