2020年04月12日(日)

「エリはサムエルに言った「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、 『主よ。お話しください。しもべは聞いております』と申し上げな さい」Tサムエル3:9


祭司エリがサムエルを養育していたが、ある日、突然、少年サムエ
ルに主の御声が臨んだ。エリの指示を受け「お話し下さい。しもべ
は聞いております」と答えた。すると、その最初の主からのメッ
セージは、何とエリの家への裁きであった。「彼の家を永遠にさば
く。自分の息子たちが呪いを招くような事をしていながら戒めなか
った罪による」と。

非常に、厳しい辛い言葉であった。相手は自らの師であるエリだ。
サムエルはエリに語ることを恐れたが、しかし主の言葉をそのまま
伝えた。預言者とは、神から受けた言葉を、忠実にその通りに民に
語る人のことだ。どんなに痛い厳しい言葉であろうと、その通りに
語らねばならない。

これから預言者として立てられるサムエルへの、最初のテストであ
ったかも知れない。私たちも「しもべは聞いております」と主に向
かいつつも、自らの罪を示され、自らの肉の姿を照らし出される痛
い言葉、又、自分の思いのプランと異なる言葉、矯正の言葉は耳を
ふさぎたいだろうか。

しかし痛い言葉こそが、実は聞くべき恵みの言葉だ。それは愛の言
葉であり、自分が変えられ、自分を主のかたちへと成長させてくれ
る言葉だ。主は、絶えず御声をかけ、慰め、励まし、力づけて下さ
る。私たちは主の言葉によって生きて行く。「しもべは聞いており
ます」とのへりくだった姿勢で、耳を傾けよう。

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自分の欲しい言葉があるなら、無意識にもそれに反する言葉はしゃ
断、スルーしてしまう。無意識なので気づかない。まず自分の思い
を明け渡して、身を委ねて、御霊の導きに耳を傾けたい。思いに反
する言葉でも、必ず自分自身の祝福と益と成長とされる。