2020年11月12日(木) 「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は」詩篇32:1
「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は」詩篇32:1
ダビデは、バテシバと姦淫し、その夫ウリヤを殺害した。二重に犯 した罪を隠ぺいしていたところ、主は、預言者ナタンを送られた。 ウリヤは現に殺されている。ナタンも、即、殺害されても不思議で はない。しかしナタンは主に従い、ダビデのもとへ行き、言った。 「二人の人がいて、一人は富み、一人は貧しかった。富んでいる人 は多くの羊や牛を持っていたが、貧しい人は一頭の小さい雌の子羊 だけだった。彼は大切に育て、自分の娘のようだった。旅人が裕福 な人の所に来たが、自分のものを惜しみ、貧しい人の子羊を取って 調理した」。するとダビデ王は激怒し「そんな男は死刑だ」と叫ん だ。 ダビデの隠れた罪が反応した。すかさずナタンは「あなたがその男 だ」と指さした。ダビデは「わたしは主に対して罪を犯した」と罪 を認め、告白した。ナタンは、まずダビデの罪の指摘でなく、他の 人の罪の話をした。他人の罪には非常に敏感だ。ダビデも自分の犯 した罪はわかっていたろう。しかし自分は王でありトップだ。すべ ては自分の思うがままであり、隠しおおせると思っただろう。 他人の罪としてナタンから語られた時に、その罪がはっきりと目の 前に示され、気づかされた。即、悔い改め、蒔いたものの刈り取り に苦しみつつも、練られ、聖められ、信仰の人ダビデが造り上げら れて行った。悔い改める時、罪が赦される。ダビデの大罪が赦され た。そして尚も建て直され、建て上げられて行く。何という恵みだ ろう。 ----------- 罪を悔いることができ、赦しを受けることができる。神を知って生 きるとは何と幸いな人生だろう。失敗の苦い思いの中で、御前に罪 を認めていこう。そして新たらしく一歩踏み出そう。