2021年05月13日(木) 「イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上っ て行かれた」マタイ4:1
「イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上っ て行かれた」マタイ4:1
主は40日の断食を終えられ、まさに限界ギリギリの空腹状態だった。 サタンは、その主に誘惑を仕掛けてきた。「この石をパンに変え よ」と。神の子で何でも出来るのだから、目の前の石をパンに変え る事ができる。自分でパンを作ればよいではないかと。「今、死ん でしまうと、人類の救いも、何も無いではないか」「とにかくまず 命を保たなければ」「このままでは確実に死んでしまう、神はパン を与えてくれるのか?」との疑いを吹き込む。 「神に頼るだけで大丈夫なのか?」「この危急の場面は自分で何と かした方がよいのでは」と、「自分でしてしまえば、すぐ出来るよ。 それでうまく行けばよいではないか」。「自分でやった方が早いよ。 命を保つ事は、御心にかなった事なんだし」それこそ、ここで死ね ば、元も子もない。どうあってもパンを食べて、とにかくは生き延 びねばと。 神に頼り続けるなら、あたかも餓死するかのように錯覚させる。 「自分で調達すれば?」神のためなんだからと、神を頼る場所から 離し、自分の判断で動き、自分の力で事を行なうように仕向けて来 る。サタンの巧妙な誘惑だ。肝心な事は、「神が」パンを与えて下 さるという事だ。 どこまでも神の言葉の下に自分を置いて、従うことが信仰だ。パン が命を造るのでなく、神の言葉が命を造る。神への信頼を何とかし て崩そうと攻撃して来る、サタンをわきまえていよう。 ・・・・・・・・・・・ サタンは、とにかく自分で事を起こすようにと仕向けて来る。主に 頼らずに、祈らずに、自分の思い、自分の判断、自分の力で進むよ うにと。「わたしを離れては、あなたがたは何をすることもきな い」とあり、自分ですると御霊の実を結べない。主を仰ごう。