2002年12月14日(土)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道3:11)

ある家族の80才になる父親が天に召された。60
年も忠実な信仰を守って、主に仕えて来た聖徒だ
った。その日はクリスマスだった。祝いの日だ。主
が地上に来られた喜びの日だ。人々は楽しさと喜
びの中にいた。これが神のピッタリの、ちょうど良い
時なのだろうか。葬儀の準備をする時とは思えな
かった。しかし、神のなさる事は完全だ。時にかなっ
て美しいのだ。闘病にあった父親の苦痛の終り。
すでに天国にいる愛する家族との素晴らしい再会
の時、そして何よりも父の愛と望みの対象である
イエスと共におれるのだ。素晴らしい喜びの時なの
だ。神に間違いは無い。最善の時だったのだ。父
親は天に帰ったが、その模範と働きはいつまでも
残り、影響を与え続けて行くだろう。信仰の遺産を
残したのだ。神の時は常にピッタリだ。あなたの
人生にも、一日にもすべてに神の時が定められて
いる。