2021年09月12日(日)

「あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから 『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」イザヤ30:21


神は、御心のままに、あなたがたの内に働いて志を立てさせ、事を
行わせて下さる。主が、私たちの心に志を下さると。日常で、私達
は、朝起きてから夜寝るまで、様々な思いが次から次へと浮かぶ。
しかし注意すべき事は、すべてが神からのものではないという事だ。

サタンからの思いも、どんどん来るし、自分の肉からの思いも湧き
上がる。様々な思いが混線している。これこそ御心と思うのだが、
主からの思いでは無い事も、しばしば経験する。しかし必ず主から
の思いもある。どう判別して行けばよいのだろう。

まず何よりも祈りが大切だ。サタンによる霊的な事柄の識別は、祈
りによってしかわからない。祈りの中で御霊が働き、御霊が教えて
下さる。その心の思いは、御言葉に合致しているか。御言葉に反し
て導かれる事は決して無い。

その際、注意すべき事は、サタンは光の御使いに変装するので、神
のかたちをとって来る。主からのものに思えてしまう。非常に紛ら
わしい。御言葉を違う解釈で持って来たり、御言葉を薄めたり水増
ししたりする。少し位大丈夫だと誘惑して来る。又、結果オーライ
で、結果さえ良ければ、方法、手段は構わないではないかと思わせ
て来る。

目的のために、手段は正当化されるのだと。しかし主は、目的も手
段も、動機も正しい事をされる。そこに不正があるなら、主からの
ものではない。又、主からの志であれば、祈りの中で不安が失せ、
平安が与えられ、必ず環境が開かれて行く。

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主の御声があり、サタンの声や自分の思いがある。よく祈ろう。よ
くよく祈りを積んで、志が変わらなければ、主からのものだ。サタ
ンや自分の思いなら変わって行く。又、環境が閉じられて行く。主
は導かれるので、必ず従いたい決心がある時に、導きがわかる。