2021年10月11日(月)

「私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです」詩篇39:9



ダビデは、身体的、精神的、対人的な様々な苦しみの中で「なぜ、
どうして、こんな目に会うのか」との思いでいっぱいだった。し
かし、舌で罪を犯してはいけないと、口に口輪をはめた。だが抑
え込んで黙していると、痛みはますます増幅し、激しくなって、
まさに爆発寸前だった。そこで舌で、人にでなく、主に思いを吐
き出した。気持ちの何もかも洗いざらいを、主に告げた。

人生は、どんなにはかなく、虚しいかと。いかに盛んであっても、
全く虚しいものだと。そんな虚しい人生で、何を待ち望み、何を
望めばよいのか。そしてダビデが祈りの中で、見上げた時に、主
を見い出した。「主よ。私は何を待ち望みましょう。私の望み、
それはあなたです」と。そして、ことごとくを祈りに持って行っ
た後、「私は黙し、口を開きません」と言っている。

それはその前の罪を犯すから、口を開かないのでなく、「あなた
がそうなさったからです」と、今度は主への信頼、信仰に立って
いる。すべてに主の主権を認め、主のご計画がある事を認め、そ
れを受け入れている。人からの苦しみも、信仰により、主からの
ものと受け止めている。苦しみの中にも、そこに主を認める時に、
「あなたのむち」「あなたの手に打たれ」と、主を見い出して行
く。

するとそこには意味があり、むちも、打たれる事も、主からのも
のなら、すべて祝福へと導かれて行く。今、起きている事を「あ
なたがそうなさった」と受け止めて行こう。その時、「私の望み、
それはあなたです」と主に向かって行ける。信仰に立って行ける。
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そこに主の御心があると信じるから、あなたを待ち望みますと言
える。原因をさぐり自分を責めて苦しむなら、主の御手の支えを
受けとろう。主は全てを知っておられる。