2022年01月12日(水)

「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼ら の悪がわたしの前に上って来たからだ」ヨナ1:2



主はヨナに、ニネベへ行くよう、命じられた。しかしヨナは敵国ニ
ネベが気に入らず、「主の御顔を避けて」、行きたくない。そこに
丁度タルシシュ行きの船があり、その船に乗った。すると嵐になっ
た。ヨナはこの嵐は自分のせいなので、自分を海に投げ込むように
と言った。

主は、海に投げ込まれたヨナを、海中で大きな魚を備え、その中で
ヨナを守られた。そこでヨナは悔い改めの祈りをし、魚の腹から出
た後、今度は素直にニネベに向かった。するとヨナの言葉に聞き従
い、ニネベの人々は悔い改めた。そのため主は災いを思い直され
た。

それがヨナには納得行かず、心が収まらない。小屋を作り、陰に座
り、どうなるか見てやろうと、すねたような態度だ。主はとうごま
で、日陰を作られ、ヨナは喜んだ。だが翌日、虫で、とうごまが枯
れた。焼け付く太陽は照りつけ、ヨナは衰え果て「死んだ方がま
し」
と死を願った。

機嫌を損ね、それが直ったかと思うと、又、機嫌を損ね、死にたい
と思う。私たちも些細な事で信仰が揺れ動く。うまく行けば大喜び
し、反対だとひどく失望落胆し思い煩う。状況に振り回されるだろ
うか。大事な事は、主は、ヨナを大きな愛で愛され、愛し続けられ
ている。ヨナが御心をそれても、主の愛は変わらない。

決して見捨てず、見放されない。何があっても変わらない不変の愛
で、ヨナに目を留め、導かれる。この愛で私たちも愛されている。
この主を心に据えよう。もし今、御顔を避けているなら、主に向き
直り、御心を行なおう。その時、何にも代えられない喜びがある。
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環境に左右されて、すぐにつぶやいてしまう。どこまでも自分の事
でいっぱいの者を主は変わらない愛を注ぎ続けていてくださる。主
の尽きないあわれみとご愛に感謝しかない。