2022年06月12日(日)

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してく ださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらな い」詩篇55:22



誰しも思い煩いを経験する。心重苦しく、暗く沈み込む。思い煩っ
ても良い事など一つも無いのに、又、思い煩いたくなど無いのに、
思い煩ってしまう。思い煩うのは、自分の能力を超えた問題のため
だ。自分にどうにも対処出来ず、それは自分の肩にずっしりとかか
り、重くてたまらず、あれやこれやと不安で思い煩う事になる。

だが主は「思い煩うな」と言われる。「何も」いっさい煩うなと。
主のもとへ持って行くようにと。いっさいの重荷をゆだねよと。主
が、私たちの事を愛し、心配して下さっているからと。あなたが自
分の事を心配するより前に、主が、あなたの事を心配して下さって
いる。主に持って行く事によって、いかにあなたを愛していて下さ
るかを、経験によって知る事が出来る。恵みのチャンスだ。

私達は、明日の事をくよくよと思い煩うが、明日の事は全く見えず、
わからない。明日に備えて準備はできるが、明日を自分でどうにか
する事は不可能だ。容量と枠を超えて考える事から、思い煩いが生
じる。だから、明日の事は心配無用、明日が心配すると言っている。
それを無視して超えようとするので、思い煩う事になっている。

それより、その日その日の労苦、その日の御心を行ない、今日一日
を、精一杯しっかりと生きるようにと。明日の思い煩いで、今日を
つぶしていないか。明日は主にお任せしていよう。明日をいっさい
心配しなくてよいとは、何という救いで、恵みだろう。

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サタンがいるので、しょっ中、思い煩いの攻撃が来る。その度に主
に一つ一つ委ねて行くことができる。それは逆に、少しづつ〃主と
の信頼関係を培って行くことになる。気づかずに、思い煩いにはま
るので、御霊の気づきを祈っていよう。