2022年11月12日(土)

「・・あなた方の敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽 くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています」Tペテロ5:8



主は、今まで愛し導いて来た弟子たちに、その愛を残るところなく、
最後まで示された。自分のものを「極みまで愛され」「愛し通され
た」。それで、主は、手ぬぐいを腰にまとわれ、かがんで弟子たち
の足を洗われた。そこにユダもいた。今から裏切るであろう事を知
った上で、ユダの足を洗われた。ユダをも最後まで愛し通された。

主が捕らえられた時に、ペテロも主を裏切った。3度も誓い「あん
な人を知らない」と。そしてペテロの裏切りは有名だが、弟子たち
も皆、イエスを裏切り、見捨てて逃げ去った。これから起こるであ
ろう事態もわかった上で、主は皆の足を洗われ、尚かつ極みまで愛
された。

しかしながら、ユダとペテロは大きく違っていた。ユダは後悔した
が、悔い改めはなく、主のもとへ行かず、どこまでも主に頼らず自
分で片をつけた。ペテロも後悔したが、主のもとにとどまり、すぐ
に悔い改めた。他の弟子たちも、復活の主のもとへ戻って来た。そ
して「ユダにサタンが入った」とあるが、悪魔は勝手に入れない。

ユダは悪魔の方を選んだ。徐々に悪魔に心を開いて受け入れて行っ
た。主はユダを極みまで愛されたが、ユダは主を選ばなかった。自
分の思い描いていた主と違ったのだろうか。主のそばで3年間、御
言葉を聞き、主のわざも見た。御言葉も知った上で、自分が選んだ
まさしくユダの意志だった。ペテロは後に「身を慎み、目をさまし
ていなさい」と。悪魔を警戒するようにと、自分の経験から語って
いる。目を覚まし、主に拠り頼み、祈っていよう。

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大きな失敗、小さな失敗、どうしても失敗はしてしまうが、すぐに
主のもとへ行き、悔い改めよう。そのための主の十字架だ。赦して
下さる。ユダは、主のもとへ行く事をしなかった。どこまでも主に
頼ろう。赦されるたびに、主の愛を更に知って行く。