2023年02月10日(金)

「愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかな かった」マタイ25:3


十人の娘が出て来る。花嫁サイドの娘たちで、花嫁の家で、皆で、
花婿が到着するのを待っていた。だが花婿は思いのほか遅くなり、
夜中になった。そのため十人とも、うとうと眠ってしまった。する
と突然、花婿が到着し「迎えに出よ」と叫ぶ声がした。五人は自分
のともしびと一緒に、予備の油を用意していた。

ところが他の五人は予備を用意していなかった。もう今にも火が消
えそうで、油を分けて欲しいと頼む。だが分けるほども無いので、
店で買うようにと言われる。急ぎ買いに走り、戻ると、もう花婿到
着後で、祝宴の戸が閉じられ、入れなかった。

明暗がはっきり分かれてしまった。賢い五人と愚かな五人のどこが
違ったのだろう。どちらも、ともしびを持ち、どちらも、うとうと
眠っていた。賢い五人は居眠りしなかったわけではない。違いは、
予備の油を持っていたかどうかだった。花婿は再臨のキリスト、娘
は私たち一人〃だ。油は聖霊で、その油は、上げたりもらったりが
出来ないものだ。

少し分けて上げれば良いのにと、思ってしまいそうだが、聖霊を分
け与える事など不可能だ。大切な事は、今日の生活を天につなげた
ものとして、天に帰り、主にまみえる事を常に踏まえて生きる事
だ。それは、この世にいる間、聖霊を求め、聖霊の満たしを求めて
生きる事であり、地道に日々主と交わり、主との信頼関係が培われ
て行く事だ。

それが油を準備しておくという事だ。自分と主との関係を、人から
もらったり上げたりなど不可能だ。普段の生活において、そこにし
っかり目を留めていよう。
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昼間はわからなくても闇がくれば油の不足ははっきりしてしまう。
日々の信仰生活、いつも主に助けを受けながら、御霊の導きに敏
感でいたい。信仰の油を絶やすことなく目覚めていよう。