2023年05月13日(土)

「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにし てはならない」ヘブル4:7


「聞き方」に注意するようにと言われている。イスラエルの民は皆、
モーセから神の言葉を聞いていた。だが聞いた言葉が「信仰によっ
て結びつけられ」ずに、最後まで神を疑い、結局は不信仰により荒
野で滅ぼされてしまった。何のためにエジプトを出たのかわからな
い。モーセは神の言葉を語った。問題は、聞く側にあった。信仰に
結びつける事が大切だ。

種蒔きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ。道ばたに落ちた種
は土地がカチカチで、種は植わらず、悪魔が来て種を奪い去った。
つまりは、先入観や偏見があると御言葉が入らない。又、他人事と
して聞く態度だ。自分の事として聞かないので、右から左へと素通
りだ。まるで映画でも観るように、自分とは距離があり、関係の無
い傍観者として聞いていないだろうか。

御言葉は、誰かへの言葉でなく、自分への言葉として受け取る必要
がある。それが「良い地」だ。その時、必ず実を結ぶ。薄い岩地に
落ちた種とは、喜んで御言葉を受け取るが、根が無い。根を張るの
は地中だ。人に見えない、隠れた主との関係を培う事が大切だ。主
との地道な交わりの生活が、根だ。根が無いと枯れてしまう。

いばらの中の種は、外部から伸びたいばらにふさがれた。外側のも
のにより生長が妨げられる。世の多くの事柄に心が奪われてしまい、
主がおそろかになる。自らはどんな「聞き方」をしているか、振り
返り考えてみよう。御言葉が、土地である心に、信仰によって受け
入れられる時に、根づき、芽が出て生長し、豊かな実を結ぶ。

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御言葉を聞く時は、祈りをもって聞こう。祈りがなければ、なかな
かわからない。そして自分への言葉として聞くと同時に、どうであ
れ、従いますとの姿勢で聞く時に、御言葉がわかるようにされる。