2023年07月13日(木)

「さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた・・『アナニヤよ。』 と言われたので、『主よ。ここにおります。』と答えた。」 使徒9:10


ダマスコに、主の弟子であるアナニヤがいた。そのアナニヤは、主
からの御声を聞いた。サウロという人物がいるから、ユダの家に尋
ねるようにと。彼は、アナニヤという者が来て、自分の上に手を置
くと、再び見えるようになると幻で見たからと。アナニヤにしてみ
れば、大変な勇気の要る事だったろう。

あのサウロは、クリスチャンをひどく憎悪し、激しく迫害し、情け
容赦なく縛っては、捕らえ続けていた人物だ。あの恐るべきサウロ
が、回心したのだろうか。本当に?そんな事があるのだろうか。も
し、それがまやかしなら、間違いなく自分は死ぬ事になるだろう。
命がかかっている。しかしアナニヤは、祈っている時であり、いつ
も親しく聞いている主の御声に間違いの無い事がわかっていた。

アナニヤは従った。そして主も、アナニヤが必ず従うことをご存じ
であった。サウロもまた、「彼は祈っています」とあり、盲目の3
日間、全く飲食をしなかった。つまり断食して祈りに専心してい
た。サウロにもまた、アナニヤという人物が来て、見えるようにな
る、との示しを与えられていた。

双方が共に、祈りの中で、主により御心を示されていた。アナニヤ
の主への従順により、サウロは目からうろこのような物が落ち、目
が見えるようになった。アナニヤは、主により用いられた。私たち
も祈りの中にいる時、主は御声をかけ、御心を示し、用いて下さ
る。
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答えられず無視される祈りが一つもないことは何と感謝だろう。主
は祈りを通して豊かに御心を示してくださる。自分の狭い価値観を
超え誰かのために用いられる。主の導きに従おう。