2023年09月12日(火)

「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明ら かにされます」エペソ5:13



ある人に高齢の母親がいて、家事に困難が生じたため、ヘルパーを
お願いする事にした。すると、そのヘルパーが来るまでに、家を掃
除し、きれいにしようとするので、余計に大変な事になってしまっ
た。こんな汚れた所に、人に入ってもらえないとの事だった。私た
ちもどうだろう。来客時には、見えない所にすべて押し込んで、外
側きれいにするだろうか。

見た所きれいだが、見えない所はぐちゃぐちゃだ。私たちは御霊を
このように迎えていないだろうか。応接間にだけ通し、プライベー
トな部屋には入られたくない。都合の悪い部屋には鍵をかける。き
れいな所だけを見せて、自分の醜い所、弱い所、汚れた所はいっさ
い触れられたくない。御霊にも隠してしまう。そして汚い部分は自
分で対処しようとする。これが肉に従って生きることだ。

御霊によって殺すとは、御霊の光に自らのありのままを隠さずに、
さらけ出す事だ。醜い、弱い、汚いそのところに御霊に来ていただ
くことだ。「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明ら
かにされます」「明らかにされたものはみな、光だからです」。隠
しているものは、暗闇の中だが、明るみに出されたものは、光だ
と。

プライドが邪魔をするだろうか。しかし心の闇がどんなに深くて
も、御霊の光が射し込めば、もう闇は消える。御霊の光がある所、
すでに闇ではない。あるがままの自分を御霊が照らし、見せられる
事から祝福は始まる。どんなにひどい、醜い自分であっても、それ
を素直に認めて行く時に、主は取り扱って下さり、御霊により、キ
リストのかたちへと変えて行って下さる。
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自分の醜い部分は見ないふりをしても、もやもやと苦い思いとなっ
て心をめぐってくる。そのまま祈りに持っていきたい。恨みや、妬
みかも知れない。曖昧にせず、光の中に出そう。