2024年02月11日(日)

「それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして 帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふ らせなさったのですか。」ルカ15:30



家を出て、遊びほうけて好き放題をした弟息子が、父のもと
に戻って来た。毎日〃待っていた父は大喜びで、家までは遠
かったのに、彼を見つけ走り寄って、抱き口づけした。「か
わいそうに思い」と、父の心はあわれみで、溢れ返っていた。
身も心も、ぼろぼろになって戻った息子を抱きしめて、喜び
祝おうと宴会を開いた。

「死んでいたのが生き返り」放とうしていた間の事を、その
挫折と孤独、うちひしがれた心の状態を父は理解し、父の心
は、愛と慈しみで溢れ返っていた。しかし、兄息子は、行方
不明の弟が戻ったのだが、全く喜べない。怒りが湧く。怒っ
て、家に入ろうともしなかった。放とうざんまいして、帰っ
て来て、宴会を開くとは、と抗議する。

兄は「私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もあり
ません」と。毎日〃きつい労働をし、遊ぶこともせず、ずっ
と仕えて来た。しかし兄の心に喜びは無かった。義務であっ
た。ほうとうした弟が帰宅した時に、兄の心の奥にあった本
当の姿が現われ出た。

はめをはずす事もせず、毎日〃重労働をしている自分は、一
体何なのか。しかし父親は彼を一言も責めていない。動機が
間違っていると、叱ってもいない。むしろ気持ちを受け止め、
なだめている。いつも私が一緒にいる。私のものは全部お前
のものだと。

最大限の愛情だ。父は、兄息子へ何もかも与え尽くしたい、
愛と慈しみで溢れている。今、兄息子の状態なら、そばに
ある父の溢れる愛に気づけるよう祈ろう。

・・・・・・・・・・
兄息子は父の近くにいて、言いつけ通りに働くが、父への愛
は無かった。父の愛もわかっておらず、喜びも無く不満でい
っぱいだった。父は、兄へも無条件の溢れる愛でいっぱいだ。
あるがままを、御父に告げて行く事から始まるだろうか。