2024年07月13日(土)

「あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、 あなたは『わたしは聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わ ないということ、これが、若い頃からのあなたの生き方だった」 エレミヤ22:21


エレミヤは、ずっと主からの警告を民に語り続けた。しかし民は
「繁栄していた」ので、心が鈍くなっていて、主を必要とせず、耳を
傾ける事はなかった。「苦しい時の神頼み、楽しい時の神離れ」と
言われるが、その通りだった。人は試練の時は、苦しくてたまらず、
主に拠りすがる。

だが、順境の時は、主に頼らずとも問題なく、自分の力でやって
行けるので、主から離れてしまう。心が少しづつ〃霊的に鈍くな
って行く。ある日突然、鈍くなるのでなく、少しづつ〃流されるので、
気づかないままだ。主の語りかけに、どうあっても聞き従わない民
に、主は、バビロン捕囚という厳しい試練を与えられた。

エルサレムは滅び、神殿は破壊され、ユダの民は敵国へ連行さ
れるという、苦しい試練であった。同様に、主は、私たちにも「わた
しはあなたに語りかけた」と、ずっと御声をかけ続けて下さっている。
メッセージを毎週〃聞いているのに、なぜ自分の事として聞こえな
いのだろう。物理的には、耳に聞こえているのだが、心の耳には
聞こえていない。他人事として聞いているだろうか。

傍観者としてだろうか。もし聞いても従う気が無いなら、御言葉は心
に聞こえて来ない。御言葉が心に迫る時は、自分が主の言われる
事に聞き従おうとしている時だ。御声に従い、自分が変わろうとの
思いがある時、御言葉が心に力強く響いて来る。自らの心の態度
はどうだろう。御霊に照らして頂こう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は繁栄により、成功により、主から離れてしまう。主に頼らずとも、
自力で生きて行けてしまう。御言葉が、右から左へと流れる。頭の
信仰になり、心に入って行かない。気づきから始まる。主の愛は
主との交わりへと、私たちを導かれる。