2024年08月12日(月)

「主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は 病気になった。ダビデはそのその子のために神に願い求め、断食を して、引きこもり、一晩中、地に伏していた」Uサムエル12:15


ダビデは、愛する我が子が病気になった時、断食していやしを祈り
に祈り続けた。しかし必死の祈りも叶わず、子どもは死んでしまっ
た。普通なら、こんなに切なる願いが叶えられず、我が子の死を前
に、ダビデはどんなに嘆き、悲しみ、打ち沈んだ事だろうと思って
しまう。だが愛する我が子の死を知ったダビデは、そうではなかっ
た。

身体を洗い、身に油を塗り、着物を着替え、主の宮に入った。そし
て礼拝したのだった。それから家に帰り、食事をした。家来たちは
非常に驚いた。子どもが生きている間は、断食をして泣いて祈った
のに、亡くなると起き上がり、食事をするとは、と。なぜなら、自
分は子どものところへ行くが、もう子どもは私のところに戻って来
ないからだと。

私たちはこのダビデから学ぶ事が出来る。自分の願いは、願いとし
て、きちんと主に祈るべきだ。しかし、しばしばその祈りの答え
が、自分の願いと異なる場合がある。それは、どんなに強烈な願い
でも、「ノー」が答えであり、それが主からの御心なのだ。その時
は、その「ノー」をダビデのように受け入れよう。難しければ、そ
うできるよう主に助を求めて祈ろう。

今、あなたも主から「ノー」の答えを受け取っているだろうか。自
分の思いとは違うが、主の御心として厳粛に受け入れられるよう、
祈ろう。そこで主を新しく知って行ける。その答えは「ノー」だ
が、霊的には「イエス」で、一歩前進して行ける。そこに祝福が備
えられていて、そして成長して行ける。
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主を信頼し御心をされると信じているから祈り求める。それは答え
がノーであっても変わらない。最善を信じ受け取りたい。受け取れ
るよう主が心も整えてくださる。主の最善を信じよう。