2025年03月13日(木) 「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌って いると、ほかの囚人たちも聞き入っていた」使徒16:25
「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌って いると、ほかの囚人たちも聞き入っていた」使徒16:25
パウロは祈りに祈り、御霊の明確な示しにより、宣教のためマケド ニヤに渡った。ピリピの町に行き、川岸の祈り場へ向かい祈った。 宣教を開始し、悪霊を追い出したところ、訴えられて捕らえられて しまい、投獄となった。むち打たれ、暗い奥の牢へ監禁された。あ れほど祈ったのに、何でこんな事に?主の示しに確信もって従った のに、なぜ?御心を行なっているのに、問題が来て、苦しみが来た。 どうして?ましてや、宣教のために来たのに、投獄の身だ。あの祈 りはどうなった?投獄されてしまって、どうにもならないではない か。しかし主の計画は着々と進んでいた。パウロとシラスは、これ らすべてに、主の主権とご計画を信じ、牢獄の中で祈りをし、賛美 した。愚痴と不満では無かった。 むち打たれた激痛の中で、感謝し賛美したのだ。他の囚人たちは、 見た事の無い光景に驚き、大変な衝撃だったろう。そのため地震で 逃亡出来たのに、誰一人動かなかった。看守は、囚人を取り逃がす と、死刑だったので、自害しようとした。しかし全員そこにおり、 その場で、看守は救われた。何と、彼の全家族も救われた。ピリピ の教会の核となり、宣教が進められて行った。 主に間違いは無い。一つ〃の事柄がパズルのピースだ。繋がった時 に、主のみわざが現われ出る。あんなに祈り、御心に従ったのに、 なぜこんな事に?との状況だろうか。主は、ご自身の確かなご計画 を進めておられ、紆余曲折の中、間違いのないみわざが進行中だ。 今、思い通りでないかも知れない。しかし主に間違いは無い。信じ て立とう。 --------------- 祈って導かれたなら、愚痴も不平も捨てて、主の最善を信じたい。 主の見ているように見ていけるよう祈りたい。御霊に守られた平安 が来る。今するべきことは、祈りと賛美かも知れない。