2025年04月11日(金) 「ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏 のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ」 マルコ14:3
「ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏 のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ」 マルコ14:3
マリヤは、主が語られる言葉を全身で聞く中、主が十字架に向かわ れる事を知った。その中、彼女の持てるすべてを主に献げた。今ま で、少しづつためた香油を、その石膏のつぼを割り、すべてを主の 頭に注ぎ切った。その香油は300デナリで、1デナリが労働者1日 分の給料であり、給料10ヶ月分だ。非常に高価な物だった。 それを見た弟子たちは、貧しい人々に施せたのにと、マリヤを責め て憤慨した。しかし主は、マリヤのその行為の意味を理解し、受け 止められた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしのために、り っぱなことをしてくれた」のだと。主の埋葬の準備にと、前もって 油を塗った。そしてそれが、主に油を塗ることの出来る最後の時と 機会であった。 その後、主は十字架へと、向かわれたのだから。週の初めの明け方、 女性たちが香料を塗りに墓に行ったが、もうご遺体は無かった。主 は復活され、誰も油を塗れなかった。まさにマリヤだけが油を塗れ た。主を、どんなにお慰めした事だろう。マリヤは、高価な香油は 無くなったが、その犠牲の大きい分、心が主に向かい、晴れやかな 気持ちだったろう。何と幸いな事だろう。 「宝のある所に、心もある」と主が言われた。私たちも教えられる。 つまり、心が主にあるためには、自らの「宝」を主に献げればよい という事になる。握りしめているものは何だろう。マリヤのように 後悔の無い、晴れやかな確信が深められる。 --------------- 日々、主に焦点を当て間に合う者になりたい。主から、愛も恵みも 豊かに受けている。握っているものを惜しみながら歩む道より、 感謝をもって献げる歩みを選びたい。