2025年05月13日(火) 「『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか』と言って人々が 拒んだこのモーセを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によ って、支配者また解放者としてお遣わしになったのです」 使徒7:35
「『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか』と言って人々が 拒んだこのモーセを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によ って、支配者また解放者としてお遣わしになったのです」 使徒7:35
私たちの人生で、最も危険な時とは、私たちが無力の極みで、弱っ ている時ではなく、自信がある時だと言われる。自信満々の時が最 も要注意だと。モーセも40歳で、地位も富も権力も能力も、何もか もを持ち、我こそはと、同胞の救出に立ち上がったが失敗した。 ペテロも自信満々だった。 主が、皆、つまずくと言われた時、全部の者がつまずいても、自分 は大丈夫と豪語した。決してつまずかないと。ペテロは知らなかっ たが、自分の力に頼り、又、自分の弱さを知らなかった。主の言葉 通り、ペテロは三度、主を呪いをかけてまで誓って否定した。主を 裏切ってしまった。しかし主は、ペテロが失敗しないようにではな く、信仰が無くならないようにと、祈っておられた。 モーセは老人になった80歳の時に、栄華も地位も力も、何もかも失 せた時に、民を解放するために、指導者として立てられ、用いられ た。自分では、今更何ができようと思ったろう。主が用いられるの は、屈強な軍馬でなく、ろばの子だ。号泣したペテロは、自分の本 当の姿を見せられた。情けなく弱い、惨めな自分の姿、もう弟子の 資格もなく、ふさわしくないと思ったろう。 しかし主は、その砕かれたペテロこそふさわしいと、ペテロを回復 させ、建て直し、諸教会のリーダーとして用いられた。「立ち直っ たら、兄弟たちを力づけるように」と。自分に何も無い、無力を知 る時こそ、実は恵みの時だ。豊かな祝福へと導かれる。 -------------- 有り余る力があると、何かに追われるように動き、働いてしまう。 失敗を通して主に教えられる。弱さの中で、主に頼れる恵みに感謝 し、主に導かれていこう。