2025年06月12日(木)

「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります・・ わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません」 ヨハネ14:23



主を愛するとは、具体的に、主のことばを守り、行なうことだ。主
の御心を一つ一つと実行することだ。それが、主を愛することだと
言っている。その時、そこに感情がついて来なくても構わない。感
情は横に置いて、意志を主に向けて、祈りつつ、意志で御心を行な
って行けばよい。それを主に従い、主を愛した事として、受け取っ
て下さる。

聖書の中の愛とは、感情の愛でなく、すべて意志的愛だ。主の喜ば
れる事を、御心を意志で行なって行く事だ。人は感情はコントロー
ル出来ない。しかし意志は出来る。好きでなくとも、愛することが
出来る。たとえ話で、二人の息子が、父にぶどう園で働くよう言わ
れ、兄は「行きます」と答えたが、行かなかった。一方、弟は「行
きたくない」と言ったが、悪かったと思って出かけた。

父の願いに答えたのは、弟の方だった。口先でなく、実際に行動す
る事が大切だ。感情はアップダウンし、その感情に従い、信仰生活
を送ると、どこに向かうかわからない。いつも不安定で、迷走する。
感情ではなく、意志で御言葉に従った時に、感情は後からついて来
る。

挨拶してくれない人がいて、御霊により、こちらからは挨拶するよ
う示される。感情は嫌で、拒むが、意志で実行して行くと不思議に
自分は平安にされる。自分は嫌だと認めているので偽善ではない。
御霊の実を結んで行く。感情は置いて、従ってみよう。
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愛のない者に、感情での愛を求められない事が感謝だ。一時の感情
を超えて、主が結実させてくださる。主を愛し、御言葉に従おうと
すると祈りになり、具体的な愛の行動へと導かれていく。