2025年10月13日(月)

「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、 おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこ うではありませんか」へブル4:16



私たちは、どうだろう。自分が弱さを感じる時、又、罪を犯してし
まった時、主との距離を感じてしまうだろうか。主から離れている
と。悪魔は、私たちが弱っている時に、この時とばかりに攻撃して
来る。「同じ失敗ばかりしているダメクリスチャン」「主のもとへ
など、とても行けない。少しはましになって行かなくては」「悪い
証しをしてしまった」「何度やってもダメ」と。

悪魔の言う事に聞いて行くと、主を遠く感じ、落ち込むばかりだ。
しかし悪魔の大嘘だ。主の御座は、「恵みの御座」だ。主は十字架
で、あがないを成し遂げて下さった。私たちの罪は、主になすりつ
けられ、自分のもとには無い。主が、すべての裁きを受けて下さっ
た。主の御座は、裁きの御座でなく、「恵みの御座」だ。自分のゆ
えでなく、ただ主イエスのゆえに、恐れなく、「大胆に」御父に近
づくことができる。

そして私たちの弱さに同情し、とりなしていて下さる。あわれみに
満ちた大祭司だ。「おりにかなった」、他訳では「最も必要な時」
だ。グッドタイミングだ。どんな時も、丁度の時に、助けて下さる
と。恵みとは、いっさい行ないによらない、一方的に与えられる愛
顧だ。悪魔と自分の肉は、「少しましになって、御前に出なくては」
と言う。主の御前に出ることを、ためらってしまう。

しかし主の流された血潮のゆえに、その場で「主よ」と、大胆に恐
れなく、近づくことができる。ありのまま近づこう。罪の赦しが備
えられていて、又、弱さはそのまま受け入れて下さる。
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もう少し頑張ってからと、主の十字架の恵みから離そうとする悪魔
の声や、肉の思いが絶えずくる。主のご愛を疑わず、弱さのままで
主に近づこう。主が恵みと平安の中に守ってくださる。