2001年02月08日(木)

『するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神のみ恵みがありますように。そんなことが あなたに起こるはずはありません」』(マタイ16:22)

見知らぬ人から道を聞かれる事がある。
道を教えると「もっと近道はありませんか」「そうでは
なく、こっちの近道を行くわけには行きませんか」と聞かれる。
一見、他の道が近道に見えても、実際はそうではない。
交通量が激しくて渋滞であったり。工事中であったりする。
信仰生活上で、同じような場面に出合わす。
神がねじれ道の迷路のような所へ導かれ、私達は、わけ
がわからない事がある。
どうしてですかと尋ねたい誘惑にかられる。
もっと易しい道があるように思ってしまう。しかし、
私達は地図のほんの一部しか見えていない。もし主が
近道を選ばれたらどうだろうか。もし、十字架につかれ
ないで、他の道を選んでおられたら。私達の救いはなく、
永遠に滅びていただろう。ペテロは肉の思いで、主を
いさめた。近道の誘惑が来た時、十字架の主を見上げ従おう。