2026年06月12日(金)

「イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、 人についてだれの証言も必要とされなかったからである」 ヨハネ2:25


多くの人々が、主の奇跡を見て驚き、主を信じた。だが、主は「ご
自身をお任せにならなかった」とある。任せるとは、信頼する、委
ねる、心を与えるという意味だ。最初の奇跡が、カナで行なわれ、
以後、主は数々の奇跡をされた。それらを見た人々は主を信じた。
しかし主は奇跡を見て信じた人々に、ご自分を、任せられなかった。

主は、人の心をすべてご存じだった。奇跡に心動かされ信じても、
その感動は一時的なもので、感情は必ず冷める。奇跡だけを求める
なら、試練の時に必ずつまずき、離れ去る。土の薄い岩地に落ちた
種は、土が薄いため、すぐに芽が出たが、試練が来ると枯れてしま
った。

御言葉を聞いて感動の涙を流して信じるが、自分に都合の悪い事態
が起きると身を引く。軸が自分にあり、自分が中心なので、自分に
得るものが無いなら離れ去る。主は奇跡をされる時、御言葉によっ
て行なわれた。主の口から語られる一つ一つの言葉によって、みわ
ざが成された。しかし人々は奇跡の方に夢中になる。

出エジプトを経験したイスラエルは、あれほどの主の超自然を見た
にかかわらず、すぐに荒野でつぶやいた。荒野でも奇跡を見続けた
のに、結局、不信仰で滅んでしまった。主を信じるとは、主の言葉
を信じることだ。御霊により語られた言葉を心に信じ受け入れ、そ
して御言葉に従う時、信仰が確かなものとされて行く。
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目に見える奇跡は何も起こらず、苦しい試練はそのままでも、主の
恵みは日々変わらない。御言葉により主とかたく繋がり、御言葉を
信じて立っていよう。