2004年04月11日(日)

「そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです」(使徒27:24)


老齢で妻を看取った夫が、明確な決断を迫られた。敬虔なクリスチャンである妻のゆえに教会へ一緒に行ってはいたが、中途半端な名前だけの信者だった。妻の死後、真剣に神に向かい始めた。神を求めた。物質的な物はもはや全く重要ではなかった。残りの人生をどう過ごすかを思い巡らせ、神に立ち返り、神と共に、神に用いられる余生でありたいと決心が与えられた。ある婦人は姑が愛情深いクリスチャンだった。その姑が亡くなった時、彼女の人格、彼女から受けた愛のゆえに、神を求め始め、救いに入れられた。一粒の麦は、地に落ちると豊かな実を結ぶ。愛を周囲にまくなら、魂の救いを刈り取る。祈りと愛の行いを持って、親族の救いのため仕えよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
敬虔な舅さんが亡くなった、息子の嫁である未信者の婦人。愛情注いでくれた舅の素晴らしい人柄に、どうしても舅の愛した所に来たかったと、涙ながらに来会。求道を始められた。生きた証しに触れた。親族に仕えて行けるように。