2004年05月13日(木)

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)

赦せない相手がいると、結局一番苦しむのは相手ではなく、赦す事のできない自分自身なのだ。自分自身が一番苦しい。傷つけられた根深い恨み、激しい怒りや憎しみ、これらは自分自身を傷つける。これらの激しい感情は心だけでなく、身体をもむしばみ、病を引き起こす。憎しみでがんじがらめにされている相手が、目の前にいる時もいない時も、関係なく、心がずっと相手に拘束されている囚人状態だ。神はその苦しみから解放したいと願っておられる。唯一の道が赦す事なのだ。決して赦したくない心を神はご存じだ。赦したくない、憎んでいる心をまず認め、神に申し上げ、助けを求めるのだ。自分の無力を認める時、神が成し遂げて下さる。
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赦せない心はどうにもならない。しかし神には可能だ。赦そうとしない自分の頑固で強情な意志を認め、悔い改めて、赦そうと意志を向けて行く時、神が赦す力を与えて下さる。自分には出来ないが、神が与えて下さる。