2004年12月12日(日) 「祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った」(ルカ10:31)
「祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った」(ルカ10:31)
人は、したくない事には幾らでも言い訳と理由を作る。祭司には多くの言い訳があった。もし死んでいたら、汚れるので神殿のご用が出来なくなる。今急がなければ神殿の用が待っている・・。しかし、本音は「関わりたくない」自己中心であった。私達も周囲の必要を知りながら目を閉じる。誰しも面倒に関わりたくないのだ。表面的には様々な理由づけをし、自分を納得させようとする。しかし、神はその自己中心を砕きたいと思っておられる。神に焦点を当て、神はどう思っておられ、神のお心は何かを求めるなら正しく導かれる。みこころをそれるなら、自分自身が祝福にあずかれれない。様々な事態に遭遇した時、神のお心に焦点を当てて、神の喜ばれる選択をし、神の御旨に従おう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <御霊>と<肉>がいつも目の前にある。自分の損得、自分を喜ばせ、自分の欲望を満たす選択、もう一つは神に喜ばれ、神に従う選択。常に二つが目の前にある。どちらかを選択し結実させて行く。御霊が内におられ選択を助けて下さる。今日も祈っていよう。