2005年03月13日(日)

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです」( II コリント2:15)

私達が伝える福音の証しは、ある人には命
に至らせ、ある人には死に至らせる。氷を溶
かす太陽は、粘土を固くする。同じ太陽が正
反対の結果をもたらす。福音の言葉は、受け
入れる人々には永遠のいのちを、拒む人々
には永遠の死という厳粛な結果をもたらす。
いのちか死かは、聞いた人の出す選択であり、
その人の責任だ。私達に責任はない。しかし、
パウロは神のことばに混ぜ物をせず、純正の
神のことばを、真心から、神によって、神の御
前で語った。私達もキリストの香りを放つ者とし
て、用いられるなら何と幸いだろう。「あの人と
いると何か心安らぐ」「彼女と会うと元気がもら
える」おのずと放たれるキリストの香りだ。主と
の近い交わりを通して放たれる。日々周囲に
どんな匂いを放っているだろう。
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真心から神に導かれ、福音を伝えた結果、相手の
出す答えには責任は無いが、自分自身の生活と行
ないについては責任がある。悪臭ではなく、キリ
ストの香りを放つ者でありたい。明け渡して、通
り良き管としていただこう。