2005年06月12日(日)

「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」(ヤコブ4:3)

神のみこころにはずれた事を祈るのは、祈って
もだめだ。答えられない。また、良い事を祈った
としても、その動機が問題だ。自分の欲望を遂げ
ようとしているなら答えられない。ある若い男女
が結婚したいと祈っていた。親の強い反対があり、
どうしても道が開かれなかった。神を待ち望み、
時を待った。すると、時を置いてみると二人の心
が微妙に離れ、双方共にみこころでない確信が来
た。感情だった。結果的に、それぞれ別の伴侶が
導かれた。よく祈るなら大きな間違いから守られ
る。主観が強いと思い込みにはまってしまう。祈
るなら、みこころにかなった正しい道へ導かれる。
自分の思いで決めずに常に祈ろう。自己中心な
思いで、動機が間違っているかもしれない。祈る
中で主が正して行って下さる。
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祈りが答えられない時、心探られる事が必要だ。
告白していない罪が無いか、赦せない思いが無い
か、肉の欲望ではないか、自己中心な動機では?
頑なな自分を明け渡して行く時、祈りが答えられ
て行く。