2005年12月13日(火)

「イエスは彼が伏せっているのを見・・彼に言われた。「よくなりたいか」』(ヨハネ5:6)



病人がよくなりたいのは当たり前だ
と思うが、しかし、長期になると諦
めの心が出てきても不思議はない。
何度池に入ろうとしてもだめだった。
これからもだめだろう。「よくなり
たいか」の問は、心を探られる。
自分はどう思い、どうしたいのか。
あなたはどうだろう。信仰生活何度
罪と戦ってもだめだった。弱さがど
うにもならない。これからもだめだ
ろう。あるいは、長年同じ状況にい
ると居心地が良くなり、変化に費や
す気力が持てない。変わりたくない
肉の自分がいる。あなたの目の前で
主は問われる「よくなりたいか」。
池に入れてくれる人がいないと責任
転嫁、言い訳せず「よくなりたい」
と申し上げよう。起きて床を取り上
げ歩めと癒して下さる。
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良くならない状況に慣れてしまい
「良くなりたい!」との祈りを忘れ
てしまっていないか。良い状態がど
うであったかわからなくなってしま
わぬうちに祈り求めよう。