2006年04月12日(水)

「私も、失うときには、失うのだ」創世記43:14

ヤコブは、ベニヤミンをも取られるとの事
態に、このしらが頭の私を悲しみながらよ
みに下らせる事になると、深く嘆いた。ヨ
セフもシメオンもいなくなり、何もかもが
悪い方向に向かっている。失望と落胆。環
境を見ると、祝福の約束も見えなくなって
しまった。すべてが逆行しているではない
か。しかし、実際はそうではなく、真っ直
ぐに神の祝福の約束に向かっていた。ヤコ
ブはユダの説得に、信仰の目が回復した。
全能の神にこの事をお委ねした。そして、
全主権を持つ神を認めた。だからこそ、
「失う時には失うのだ」と潔く言えた。神
は与え、神は取られる、もし取られたとし
ても、すべて神の主権だ。主の御名はほむ
べきかなと結果するはずだ。ヤコブは委ね
た。結局ヤコブは何も失ってはおらず、す
べてを取り戻し、驚くばかりの祝福の結実
を見た。あなたは今、何もかもが逆行して
いるか。信じていよう。実は、すべてが御
旨に向かって真っ直ぐに進んでいる。自分
の思いでなく、神の御旨に向かってだ。
自分自身を明け渡して事態を見守っていよう。
どうであれ神のみこころが成る。
・・・・・・・・・・・
神に委ねると言いながら、実は自分がしっか
り堅く握りしめている。握った手を絶対に放
さない。失う時には失うのだと、全面的に
神に手放し、明け渡す時、心が平安に自由に
され解き放たれる。