2006年06月11日(日)

「もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につながれたのであれば・・」ローマ11:24

柿には甘柿と渋柿がある。それは実ではなく、
木の問題だ。渋柿の木は渋柿をならせ、甘柿
の木は甘柿をならせる。渋柿を幾ら手を尽く
し懸命に世話をしても、立派な渋柿を実らせ
るだけだ。では、どうすればよいのか。渋い
柿を甘くするには、接ぎ木をすればよい。そ
うすれば、渋柿は甘柿になる。神は私達に同
様にして下さった。肉を幾ら教育し、しつけ
ても「肉によって生まれた者は肉」だ。本質
の問題だ。肉が改良されて、霊になるのでは
ない。肉は最後まで肉、渋柿をキリストに接
ぎ木して下さったのだ。接ぎ木で、甘柿を生
じるように、私達は「神のご性質にあずかる
者」となった。キリストの性質が流れ込んで
いる。どんなに渋柿にしか見えなくても、甘
柿の性質に接がれているのだ。今、神の性質
が心にあるのだ。その性質は成長して行く。
そして御霊の実、愛、喜び、平安、寛容、親
切、善意、柔和の実を結ぶ。どんなに渋柿に
見えても、必ず甘い実を結んで行く。主と同
じ性質を宿しているとは何と嬉しい事だろう。
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接ぎ木は不思議だ。元からのものに反して、接
ぎ木された先のものが流れ込む。本当にそうな
る。神の性質、新しい性質が現に今流れ込んで
いる。そちらに目を留め歩んで行ける幸い。