2006年07月13日(木)

「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください・・祈るときにはこう祈りなさい。御名があがめられますように」ルカ11:1



祈り続けているが、なかなか
答えられない経験が誰しもあ
る。それは感謝な事で、信仰
の成長の機会だ。祈りを今一
度点検してみよう。
その態度、動機、内容はどう
だろう。答えられるか?
いやダメだろう?とのフラフ
ラとした二心か。自分の快楽、
自分の賞賛、自分の栄光が動
機にないか。祈りの陰に自分
の欲望を通そうとする自我が
隠れていないか。神の御心に
かなった祈りなら必ず答えら
れる。又、パウロの肉体のと
げの祈りが聞かれなかったよ
うに、その弱さを置く事によ
って、返って神の栄光を現わ
される場合もある。
又、自分の良かれと思う思い
と、神の御心が違っているか
も知れない。しばしば神の思
いは違う。神は動機や態度を
正し、祈りを修正して下さる。
祈りもすぐに御心にかなった
祈りができるのではない。
祈りの実践の中で少しづつ学
んで行くのだ。実際の中で、
主ご自身が教えて下さる。
大切なのはとにかく祈り始め、
祈り続ける事だ。間違ってい
れば、そのつど教えて下さる。
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祈りの中で、祈りが修正され
て行くのをよく経験する。自
分の思いのたけを祈り続けて
いても、けれど御心がなりま
すようにと心静めて砕いてい
って下さったり。感謝だ。