2006年12月13日(水)

「すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み」ピリピ3:13

神が過去に与えて下さった祝福、
恵み、得た学び等は決して忘れて
はならない、「主の良くしてくだ
さったことを何一つ忘れるな」だ。
しかし、忘れる必要のあるものが
ある。過去の罪、失敗だ。罪責感
で尚もさいなまれているなら、そ
れは間違っている。その罪を悔い
改めたなら、神は完全に赦し、思
い出さないと言われる。赦しを受
け取り、前進すべきだ。例え、失
敗があったとしても、人生そのも
のに失敗したのではない。皆、失
敗する。失敗しな人はいない。転
んでも再度立ち上がるべきだ。失
敗から学べば良いのだ。信仰の父、
アブラハムも失敗し、イサクもヤ
コブもモーセもダビデも失敗して
いる。しかし、彼らは皆、ヘブル
11章の信仰の人々に名を連ねてい
る。モーセは自分の力で事を行お
うとして失敗し、荒野での40年
の後、素晴らしく用いられた。ダ
ビデも姦淫と殺人の大きな罪を犯
したが、真っ直ぐに悔い改め、詩
篇を記し、測り知れない慰めを与え
た。後ろのものを忘れ、前進しよう。
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悔い改める時、完全に完璧に赦さ
れ、罪無し、無罪放免とされる。
再度、とがめを持って来るのはサ
タンだ。騙されてはならない。
見える所や感じる所でなく、御言
葉に立とう。喜びが来る。