2007年03月11日(日)

「人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった」マタイ14:20

自分の内に諦め思考、マイナス思考が無
いだろうか。「私が少しぐらい証しして
も、何になる」「こんな微々たる献金し
ても、何にもならない」「少しぐらい祈
ったって無駄だ」「私の微力の祈りが聞
かれるわけがない」「私一人など何の役
にも立ちはしない」「こんなに大勢の未
信者の中で、私一人が何になる」ふっと
心に湧いて来ないか。サタンのささやき
だ。「無駄」「微力」あの少年の5つの
パンと2匹の魚、幼稚園児の弁当ほどの
微々たるものを、こんなもの何になると、
主のもとへ持って行かなければ・・少年
は用いられるという大きな喜びを経験で
きなかった。又、皆もこの奇跡を見る事
は出来なかった。神は全能の主だ。「パ
ンが5つと・・ほかありません」「それを
ここに持って来なさい」これが何になろ
う、その微々たるものを、私が何が出来
ようと思う、あなた自身を、神のもとへ
持って行くなら、あなたを用いて奇跡を
される。神が働かれる。どんなに僅かで
あろうと問題でない。神は祝福され、人
々は十分満ち足りて、満腹する。周囲の
祝福の器とされる。微々たるものを用い
られる。おくせず主に献げよう。
・・・・・・・・・
「〜何になる」は主のわざを妨げようとする
サタンの声だ。微々たるそのものでなく、主
がどなたかが問題だ。全能の主が、用いて
下さる。恐れず主のもとへ持って行こう。
主の愛を知ることになる。