2007年07月13日(金)

「そこで彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった」ヨハネ21:6



ペテロ達は、熟練した腕、持ち前の
プロの勘を働かせで、夜の間中、何
度も網を下ろした事だろう。しかし、
雑魚一匹とれなかった。これは自分
の力、自分の思い、自分の知恵での
漁であった。肉の力と思いを駆使し
て、動き回っていた。自分を信じ、
自分に頼っている限り、神を信じる
信仰はない。神に頼る事はできない。
頭の中に神はあっても、決して頼ら
ない。熟練しているはずの、自分達
の力の限界を思い知らされた。無力
を味わい知った。挫折と敗北感に打
ちのめされていた。その時、「舟の
右側に網をおろしなさい」との声が
聞こえた。言われた通りに右側に網
をおろした。これが信仰への分岐点
だった。自分の思い、知恵では、プ
ロの腕でもってしても、一匹もとれ
なかった。今更、魚がいるはずがな
い。しかし、自分の思いに頼らずに
、信仰によって歩む事が、「右側に
網を下ろす」ことだ。打ちのめされ
て、無力を味わい知った時に、はじ
めて自分に頼らず、神に頼る。「信
仰」によって歩む。自分を信じてい
る限り、神に頼ることはできない。
魚がいるはずのない所に、魚がいた。
網を引き上げる事ができないほどの
大漁で、そのまま舟を岸につけて、
網を陸に引き上げた。「信仰」によ
って歩む世界は、神のみわざを見る
世界だ。  
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ペテロ達のように本当に疲れきって
いるから明け渡せた。神様、神様と
祈りながらも、自分に頼るなら神様
の栄光を見る事はなく、いつまでた
っても力を抜く事ができない。明け
渡し、明け渡し歩んでいこう。