2007年08月13日(月)

「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか」ヘブル6:1


「乳ばかり飲んでいる者は幼子」であり、
乳とは「神のことばの初歩」だとある。幼
子は固い食物を消化できないので、乳を飲
む。幼子なら当然であり乳を飲んで成長し
て行く。しかし、いつまでたっても乳しか
飲まないなら問題だ。赤ん坊がいつまでも
赤ん坊のままなら異常だ。離乳食、普通食
と少しづつ固い食物に進む。柔らかい乳の
ような言葉だけを求めるのが幼子だ。神の
愛だけを聞きたくて、義の教えは聞きたく
ない。神に愛されている、それだけがすべ
てだ。しかし、神には厳しい訓練や聖化が
ある。幼子は自己中心だ。自分中心に世界
が回っている。自分の思い通りにならなけ
れば泣きわめく。自己主張し、自分を通す。
乳児は固い食物が食べられない。そのように、
従いたくない御言葉は吐き出してしまう。
自分が受け入れられたい、認められたい、
愛されたいばかりで、自分を捨てる事や、
神の栄光などと思いが至らない。何が神の御
心で、神に喜ばれ、神に受け入れられるの
かがわからない。幼児性は無いだろうか。
すべての人が大人へと成長する事が神の御
心だ。自分に御言葉を合わせるのでなく、
御言葉に自分を合わせ、自分を従わせて行
くことだ。御言葉に従う時、自分が変えて
られて行く。自分を砕いて従って行こう。
大人の信仰者へと成長させられて行く。
・・・・・・・・・・・・・
最初は幼子で当然だが、大人へと成長して
行く事が神のみこころだ。犠牲を払いたくない、
責任を取りたくない、楽をして、美味しい
ところだけ欲しいのかも知れない。自らの
本音に気づく事から成長は始まる。