2007年09月12日(水)

『そこで彼は言った「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」』U列王7:2

サマリヤで子供を煮て食べるほどのひ
どい飢饉の中、エリシャが、明日、小
麦や大麦が溢れるばかりにあると預言
した。すると侍従はたとい主が天に窓
を作ってもそんな事があり得ようかと
言った。すると、あなたはそれを見る
が、食べられないとエリシャが言った。
そんな時、サマリヤの門に四人のらい
病人がいた。町は飢饉、どうせ死ぬの
だからアラムの陣営へ入ろうと。ある
いは食料があるかも知れないと。アラ
ム陣営へ行くと、神はアラムに大軍勢
の騒ぎを聞かせられ、襲撃に思わせら
れた。アラムはおじ惑い、陣営を置き
去りにし逃亡した。そこに入ると、山
ほどの金銀、溢れるばかりの食料があ
った。彼らは王家に知らせた。王は信
じなかったが、偵察により事実を知っ
た。すると、人々が殺到し、侍従は踏
みつけられ死んだ。実際、エリシャを
通した神の言葉の通りに、溢れるばか
りの食料を神は用意された。しかし、
それを信じなければ、自分のものには
ならない。溢れる食料があるに関わら
ず、飢えて死ぬ事になる。私達も同様
だ。十字架の救い、神の愛、恵み、罪
の赦し、義とされる事・・、溢れる食料
の中にいながら、信じなければ飢えて
死んでしまうように、溢れる恵みの中
で、不信仰でいないだろうか。自分の
姿ではないか。莫大な食料が目の前に
備えられている。信じて受け取ろう。
溢れる恵みにあずかろう。
・・・・・・・・・
恵みの大海の中にいる。しかし不信仰
は受け取ることができない。自分の中
で「そんな事が有り得ようか」と言っ
ている部分をよく探ろう。その不信仰
を悔い改め信じて行こう。神の栄光を
見る。