2007年10月13日(土) 「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦は、その日その日に、十分あります」マタイ6:34
「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦は、その日その日に、十分あります」マタイ6:34
心配性で、思い煩いに悩まされている人 は多い。ああなったら、こうなったらと、 先に起こる「かも知れない」事を想像し、 不安に落ち込む。不安材料をかき集め、 まるで現実であるかのごとくに、最悪の シナリオが完成する。しかし想像であり 妄想だ。現実に起こっていないのだから、 神も、そんな架空のものをどうにも出来 ない。思い煩いを選択している自分の問 題だ。明日の事、先の事は、私達にはい っさいわからない。誰にもわからず、見 えない。しかし、神を信じる私達は、明 日に恐れと不安を見るのでなく、神の愛 を見る。明日は、神の愛に包まれ、神の ご計画の中にあり、神の御手の中に堅く 守られている事を心から信じる。見えな い明日に、不安や恐怖ではなく、神を見 て、神の愛を信じる。これが信仰だ。神 の愛を信じて歩む時、思い煩いの亡霊に 惑わされない。そして、「神の国とその 義を第一に」心に据える事だ。自分を第 一、神を第二、第三にする事から、秩序 が狂い、混乱し、思い煩いが生じる。自 分中心に考えるから不安と恐怖で、あら ゆる事が思い煩いとなる。自分で自分を 守らねばならないからだ。神を第一にす るなら、神が全責任を取って下さる。そ こから安堵と喜びが来る。あなたの優先 順位はどうなっているだろう。心配では なく、明日に、神の愛を信じて歩もう。 ・・・・・・・・・・・ 「何も思い煩わないで」ピリピ4:6思い 煩わないで良いとは、何という安堵だろう。 「何も」だ。明日という向こうから不安と 恐怖の幽霊が来るのでなく、「わたしだ」と 言われる主が来られ、愛が来ている。