2007年11月12日(月) 「・・聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32
「・・聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32
二人の目がさえぎられていて、か たわらを歩かれるのが主だとわか らなかった。目がさえぎられてい るのは、「信じない、心の鈍い人 たち」と、主は不信仰によると言 われた。復活の事を女達から聞い た時も、使徒達はたわごとと、取 り合わなかった。全く信じていな かったのだ。心の鈍い=物わかり の悪いと言われている。心の底に 頑なな不信仰が横たわっている。 それがさえぎってしまう。心の底 の本音では、何を求めているのだ ろう。主を求めていると思ってい るので、思っているからこそ欺か れてしまうが、深い所での「本音」 はどうなのだろう。そこが主に焦 点が合っていなければ「心の鈍い 人たち」という事だ。御霊に照ら して頂いて自分を知り、主に向か おう。主ご自身が御言葉を解き明 かして下さる。礼拝メッセージに おいて、デボーションにおいて、 主ご自身が語っておられる。御言 葉を心に受け取る時に、自分自身 の姿が照らし出される。自分の姿 がわかる。そして主がわかる。心 が満たされ喜びが来る。空虚な冷 ややかな醒めた心に、灯がともる。 その灯は赤々と燃えて輝いて来る。 人間的な熱心や活発さとは異なる、 内に御霊からの喜びと、湧き上が る気力が臨む。 ----------------------- 信じているつもりでも本音のとこ ろは自分の思いでこり固まってい ないだろうか。みことばを信頼し 生きているか、神様が自分の中に 住んで下さっている事を自分のも のとして生きているだろうか。