2008年01月13日(日)

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し・・」ヘブル4:12

神の言葉は生きていて、両刃の剣より
も鋭い。心の内をあらわにしてしまう。
エバがサタンの誘惑を受けた時の、神
の言葉への反応で見ることができる。
「園のどんな木からも・・」に対して
「園の中央にある木」と答えたが、正
確ではなく中央には二つの木があった。
「それに触れてもいけない」とは神は
言っていない。「死ぬといけないか
ら」ではなく、「必ず死ぬ」だ。エバ
が絶対的に神の言葉を大切に思い、そ
の通りに受け入れ、従おうと思ってい
たのでは無い、心の状態があらわにさ
れた。神の言葉に対し、適当であいま
いな態度であった。私たちはどうだろ
う。心探られる。御言葉に対し、いい
加減なあいまいな態度でいる時、そこ
がサタンにつけ込まれてしまう。エバ
は神のようになりたかったし、美しく
麗しいもの、賢くなる事が、エバには
好ましい事であり、それが価値観であ
った。私たちはどうだろう。価値観の
部分にサタンは巧妙に働いて来る。本
音で大切にしているものが誘惑を受け
る。天に帰るまで、サタンという敵が
いて、日毎に「霊の戦い」である事を
覚えよう。敵と戦う際の剣が御言葉だ。
「御霊の与える剣である神のことば」
それがあいまいであり、いい加減なら、
勝敗が目に見えている。御言葉という
武器を与えて下さっている。「神のこ
とばを受け取りなさい」今一度心して
御言葉に向かおう。
・・・・・・・・
サタンとの霊の戦いゆえに、思考で、
思いで対抗すると、サタンの思う壺だ。
途端に泥沼にはまる。御言葉が臨むと
はっと我に返り、神様視点に立てる。
真に霊の次元の事であり、御言葉はい
のちそのものだ。