2008年02月11日(月)

「すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった」ルカ15:28

兄は弟のように家出したわけではない。
父親の言いつけを守り、父親のもとで
懸命に働いた。しかし、兄息子にとっ
て、父親とはあたかも労使関係だ。労
働を提供して報酬をもらう。父親にと
ってこんなに悲しい事はない。親が子
供を愛するのは、まさに子供であるか
らであって、何かをしてくれるから、
労働を提供してくれるからではない。
クリスチャンも律法に陥ると、よく勘
違いをする。自分の努力や働きによっ
て、神の愛をもらおうとし、祝福を得
ようとする。神に願いを聞いてもらい
たいがために、懸命に奉仕する。ある
人が信仰生活を一生懸命頑張った。そ
の結果は、疲れ果て、人を責め、裁き
まくり批判する、嫌な人間になってい
た。自分が絶対になりたくないと思っ
ていたそのものになっていた。神は全
能なのに、なぜ自分はこうなるのか。
挫折して初めて、自分の力で生きてい
る事を示された。周囲を責め、非難し、
裁くのは、自分の力と思いで突き進ん
でいたからだった。恵みの中で憩う事
を教えられて行った。兄息子は父の心
がわからない。本来なら父と一つ心で、
父の側に立ち、共に労すべき者だった。
距離的には近くいたが、その心は全く
離れていた。重症なのは、弟以上に兄
なのかも知れない。兄にも御父の両手
が開かれている。「わたしのものは全
部お前のものだ」との大いなる恵みと
愛の中に飛び込もう。
・・・・・・・・・
見せかけの信仰生活ではない神様との
真の交わりを持っているだろうか。窮
屈な信仰生活を送っているだろうか。
いつも神様のそばいる事を喜び恵みの
中に置かれている事に感謝しよう。