2008年06月12日(木)

「また、祈るとき、異邦人のように同じことがを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っています」マタイ6:7

主は「父なる神は、お願いする先
に、必要なものを知っておられる」
と言われた。では、何のために祈
るのか。祈る必要が無いのでは。
これは異邦人のように、同じ言葉
を繰り返し言葉数の多さで、との
態度の間違いの指摘だ。祈り倒さ
んとの勢いで、ただ言葉の多さ勝
ちなのではない。言葉数の多い順
に聞かれるのではない。だから言
葉の繰り返しは無益で無駄だ。こ
の世の宗教と違い、御父はすでに
必要も状況をご存じであり、知ら
ない相手のごとく、くどくど説明
する必要もない。しかし、神は次
の節で「だから祈りなさい」と言
われた。だから祈る必要ないので
なく「祈りなさい」と。祈りは御
父との交わりだ。愛する子供に「
一生涯すべての必要を完璧に保障
するから、いっさい語るな、何も
言うな」と言う親はいない。親は
子供の語る言葉を聞き、対話した
い。それは親にとって大きな喜び
で楽しみであるからだ。御父はあ
なたの声を聞きたいと待っておら
れる。又、神は必要をご存じだが、
私たちが自分で自分を知らない。
真に必要な物をわかっていない。
的はずれに求め、まともだと思っ
ている。自分の誉れ、欲のために
求めて気づかない。神はそれらを
軌道修正し、正しく導き、あなた
自身を変えて下さる。それは祈り
の実践の中でのみ可能なのだ。
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私達の欲しいものと、私達に真に
必要なものとは違う。祈りの中で、
気付きを与えて下さり御心になか
ったものならばとの思いに整えら
れる。神様と深い交わりの時を持
とう。