2008年07月12日(土)

「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21

神は私たちをロボットではなく、人格
を持つものとして創造された。人格を
持つとは、自由意志を持つ事だ。ロボ
ットに自由意志は無い。神は私たちに
自由意志を与えて下さった。愛とは自
由な意志に基づくからだ。強制の中に
愛は無い。愛とはどこまでも自発的で
自由なものだ。それゆえ圧迫されて、
強いられてでなく、自発的に神に仕え
る事を望まれる。神は自由意志を尊ば
れるので、私たちにいっさい無理強い
や強制をなさらない。御言葉は種であ
り、私たちの心は土地であるが、心が
御言葉を受け入れるかどうかは、自由
意志に任せられる。受け入れる事も、
拒否する事も自由だ。そして結局は、
御言葉を受け入れるか、拒否するか、
どちらかを選択している。強いられて
でなく、自由意志によって、受け取っ
た御言葉が、心の深い部分に入り、神
のわざがなされる。私たちを生かし、
新たにする。御言葉は霊であり、いの
ちであるからだ。御言葉は生きている。
そして、「私を変えて下さい」との態
度で、御言葉に向かうなら、必ず新た
にされ変えられて行く。御言葉がわか
るのは、自分が変わろうとしているか
らだ。そうでなく、御言葉を自分に合
わせようと、あくまでも自分の都合と
自分を押し通すなら、御言葉を拒否して
いる。それは道ばたの固い土地で、サ
タンが御言葉を奪って行ってしまう。
御言葉が入らない限り、変わりようが
ない。自らの態度を点検、吟味して
みよう。
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信仰に束縛と強制は無い。もし強いら
れて、しんどい信仰生活ならどこかが
間違っている。主の命令は重荷とはな
らない。愛は自由であり、喜びだ。主
は自由に、自由にして行って下さる。